バアル / Baalウガリトの主神。嵐や雷をつかさどり、大地に恵みの雨をもたらす豊穣の神でもある。気が短く荒々しいところもあるが、基本的には分別のある性格。 妹にアナトがおり、娘(研究者によっては花嫁とも)が三人いる(→ピドリヤ、タラヤ、アルツァヤ)。 ウガリト領北方の最も高い山「ツァフォン(ゼフォン)」の山奥に住んでいる。 一番人気の神だけあってさまざまなテキストに登場する。最も有名なのは、バアルの活躍を描いた『バアル神話(バアル・サイクル)』というテキスト群。 【名前について】 個人名はハダド(ハッド、ハッドゥとも)。 “バアル”は「主」を意味する言葉だが、時代が下ると個人名よりも好まれる名前になった。 「雲に乗るお方」「大地の主」「ダガンの息子」「アリヤーン(力強い者、勝利者)・バアル」「最強の戦士(自称)」等、さまざまな別名を持つ。 【周辺地域でのバアル】 メソポタミアの嵐と雷の神アダド(アッドゥ)にあたる。 中王国〜新王国時代前半(前16世紀前後)にアナトやアスタルトとともにエジプト神デビューしたが、豊穣神的な性格を失って嵐と戦いの神になった……が、のちにセト神の眷属という扱いになり、同一化される。 |
アナト / Anatバアルの妹で、美しく勇敢な戦いの女神。 「乙女」「少女」「諸国民の義姉」「英雄達の女先祖」等と称される。 バアルの最大の協力者。武勇の誉れが高く、バアルを亡き者にした死の神モトを粉々(要約)にして仇を討つ等、輝かしい戦績を持つ。また自分の神殿がないことを嘆くバアルのために、神殿建設の許可を与えるようイルに訴えるが、これには失敗したもよう(『バアル神話』)。 美しい容貌の持ち主のようで、「バアルの姉妹の中で最も美しい」と称えられるほか、「アナトのように美しい」という表現も見られる。 何かと気まぐれで血の気が多い性格。ダニイル王の息子アクハトに授けられた弓(コシャルの作)を欲しがってすったもんだを起こしたり、突発的に虐殺を楽しんだり、バアルの使いであるグパンとウガルが訪ねてきただけで「バアルの敵がまた現れたのか!?」と早とちりして武者震いを起こしたりする。 一方で、竪琴を奏でながらバアルとその娘(または妻)たちへの愛を歌うかわいらしい一面もある。 移動するときはよく「速足」と書かれている。かわいい。 【周辺地域でのアナト】 エジプトでも信仰され、ここでは母性的な性格や治癒の女神としての側面が強い。 |
アスタルト / Astarteアシュタルト、アスタルテとも。「アシュタル」の女性形。 戦いや狩りをつかさどる美しい女神。「バアルの御名」「狩人」「雌獅子」「恐ろしい豹」等と称される。 アナトと同じくバアルに協力的で、「バアルの御名」という別名から彼と運命を共にする立場の女神と考えられる。 神話内での活躍が少ないためいまいち実態が掴めないが、祭儀や呪術に関するテキストに名前が多く見られる。レヴァント全体で見ると非常に人気のあった女神で、主神の配偶者としてのポジションにあることが多い。 【周辺地域でのアスタルト】 メソポタミアでいうところのイシュタルにあたるが、性格や印象はかなり違う。後にエジプトやギリシャにも紹介され、古代の人々に広く愛された女神といえる。 エジプトでは、輸入された新しい戦争技術(武器、騎馬戦術など)をつかさどり、馬に乗った図像が多く見られる。第18〜19王朝に属するテキスト『アスタルテ・パピルス』には「プタハの娘」として登場し、貢ぎ物を要求するヤムへ交渉しにいく役目を負った。 【アスタルトは何を「非難」したのか?】 『バアル神話』の中で、ヤムを倒す際にアスタルトがバアルを名指しで非難するが、その台詞を「撒き散らせ」と訳すか「恥を知れ(恥じ入る)」と訳すかで意味合いが大きく変わる。 つまり、ヤムをコテンパンにしたバアルに対して「さっさとヤムを撒き散らせ!(とどめを刺せ)」と言っているのか、「その手ぬるいやり方はなんだ!恥を知れ!」と言っているのか……。どちらの解釈でも意味が通るため断定できないのだそう。 また近年では、この台詞を「バアルの御名を用いてヤムへ呪術を行使している」と解釈する研究者もいる。 |
ヤム / Yam海と川の神。「ヤム」が海を、「ナハル」が川をあらわす。 イルとアシラトの子で、「王子ヤム(王子たる海)」「裁き手ナハル(裁きの川)」「イルの愛し子」等と称される。 父親のイルから「ヤウ」という新しい名前を授かって披露宴を開いてもらったり、「神々が貢ぎ物をお前(ヤム)に納めるように」と布告してもらったりと、相当に目をかけられていたことがうかがえる。 神々の集会場であるレルの山に使者を派遣してバアルを奴隷としてよこすように要求したところ、イルがそれを承認したためバアルが激怒した(アナトとアスタルトがバアルの両腕を掴んで止めた)。 その後の戦いではバアルに「我らふたり(自分とコシャル・ハシス)の力では彼に勝てない」と弱音を吐かせるほど圧倒するが、コシャルの用意した二対の棍棒によって倒されてしまう。 海の荒れ狂う様はヤムの仕業だと考えられており、それを鎮める者としてバアルが大事にされたという側面もある。 またヤムについて述べている箇所では、海に棲む生き物として「竜」と「蛇」が引き合いに出されている。 |
モト / Motモートとも。乾きと不毛を司る死の神。モトとは「死」という意味。 イルの息子であり「イルの愛し子・勇士」「死と悪(モト・シャッル)」等と称される。 自身の神殿にモトを招こうとするバアルに対して「お前を刺し殺してやれるのを忘れたか。私が飲むのは葡萄酒ではない。バアルよ、神モトの喉の中へぜひ降りてこい、大地の産物も木々の実りもすでに私が枯らしたぞ(要約)」と言い放つ。 その伝言を聞いて恐れたバアルは「私は永久にあなたの奴隷だ」と返し、冥界へ降ることになる。 バアルが冥界に降った後、兄を返すように迫るアナトに対して挑発めいた言葉を向けた結果、粉々にバラまかれて鳥の餌にされてしまう。 そんな経緯もあり、バアルが復活したあと「お前のせいでとんでもない恥をかいた!」と怒り、壮絶な戦いを繰り広げた。最終的にはシャパシュの仲裁によって手を引くこととなった。 地下世界に住んでおり、「天まで届く大きな口」でバアルを待ち構え、「海豚のような食欲」で絶えず人間を食いたがる。モトの喉は冥界の入り口であり、彼の身体は冥界そのものでもある。そんなモトの食欲旺盛な描写は旧約・新訳聖書にも多く見られ、彼の面影が偲ばれる。 |
イル / Illu (or El)エル、イルウとも。ウガリトの最高神で、名前はそのものずばり「神」を表す。 「慈悲深き神ラティパン」「歳月の父」「被造物の造り主」「牡牛」「(神々の)王」等と称される。 二つの河が流れ出る源に住んでおり、八つの入口と七つの部屋を持つ神殿がある。 バアルの活躍が目覚ましいため彼の影に隠れがちだが、イルが万物の頂点にいることに変わりはなく、神々は何をするにつけ彼の許しを得る必要がある。 白い髪と髭をたくわえており、娘のアナトからたびたび血で赤く染められそうになっている。 『キルタ叙事詩(ケレト叙事詩)』では、王妃と子供たちを亡くして悲しむキルタ(ケレト)王の夢に立ち、ウドム王の娘・フルリヤを手に入れるための知恵を授けた。 その後、キルタ王がアシラトへの誓いを破ったために病に冒された際は「王の病を治す者はいないか」と七度神々に呼びかけたが、誰も名乗りを上げなかったため、最終的にイル自らの手で治すことになった。 |
アシラト / Athirat (or Asherah)アシラとも。イルの配偶神。 すべての神々の母であり、「貴婦人・海のアシラト」「神々の生みの親(創造者)」「聖なる方」等と称される。海辺に暮らしており、夫のイルと出会ったのも海辺でのこと。 イルの女性形で“女神”を意味する「イラト」と呼ばれることもある。 神殿建設のとりなしをしてもらうため、バアルとアナトがアシラトの元を訪ねた際は「なぜあのふたりがやってくるのか。私の親族同胞を滅ぼしにきたのか!?」と恐れたが、彼らが携えてきた見事な贈り物に喜んで、イルに神殿建設の許可を与えてもらうようとりなしてくれる。 『キルタ叙事詩(ケレト叙事詩)』において、キルタ王がアシラトへの誓いを果たさなかったために彼女のお怒りを受けることになる。 また後期ヒッタイトの神話『Elkunirsa断片』には、イルにあたるElkunirsa、アシラトにあたるAserdus、バアルに相当するとされる嵐の神、アスタルト等が登場する。ここではなかなか大胆な女神の姿が見られる。 |
コシャル・ハシス / Kothar-wa-Khasis技術・工芸をつかさどる神。名前は「賢くて器用」のような意味。「コシャルとハシス」と呼ばれるが、一般的にはひとりの神として扱われる(神話テキスト内で彼を指す動詞が単数形のため)。 「ハヤン」「海の子」「(神々の)集会の子」等と称される。 バアルの数少ない協力者その2。ヤムを倒す二対の棍棒“追放”と“撃退”をバアルに授けた。またバアルが神殿建設の許可を得るための贈り物をつくり、さらにその神殿の建設も彼が請け負った。 つまり必要なものはだいたいコシャルが用意してくれる。 ヤムとの戦いで疲弊し弱音を吐くバアルに「あなたに話さなかったか? あなたがとこしえの王権を得るために、今こそ敵を打ち砕くのだと」と勇気づけたり、神殿に窓をつけるという提案を拒むバアルに対し「あなたは私の言葉を思い出すことになるだろう」と告げたりした。 いずれもコシャルの言葉どおりとなり、ヤムは打ち倒され、バアルの神殿には開き窓がつけられた(家に窓を開けるのはクレタ様式からの輸入らしく、当時としては珍しかったかもしれない)。 普段は「カフトル(クレタ島)」におり、有事の際にウガリトへ呼ばれる。エジプトの工匠神プタハのお膝元「メンフィス」も所縁のある地で、コシャルの別称をプタハの名前をもじったものとする研究もある。 また、太陽の女神シャパシュの仲間・親友としてコシャルの名が挙げられており、彼女の旅路を阻む敵をコシャルが倒してくれるように祈願されている。 |
シャパシュ / Shapashシャプシュとも。太陽の女神で、名前も「太陽」を意味する言葉からきている。「神々の光」「神々のランプ」とも称される。 バアルの数少ない協力者その3。実際の太陽と同じように地上と地下を巡り、地下世界(冥界)を通る際はシャパシュの元に死霊らが集まると記されている(『バアル神話』)。 バアルが冥界へ降る際、身代わりの子をつくってから娘たちと召使いを伴って冥界へ降るようにアドバイスをした。その後、バアルの亡骸を見つけて泣きじゃくるアナトの元に降りてきて、彼女の肩にバアルを乗せて埋葬を手伝った。 復活したバアルとモトが争う場面にも現れ「神モトよ、どうしてバアルと戦うのか? こんなことでは、あなたの父上・牡牛イルがあなたの王権を取り上げてしまわないだろうか」と忠告してモトに手を引かせた。 また、この場面の後に続くシャパシュへの讃歌に、彼女の仲間・親友としてコシャルの名が挙げられており、「コシャル・ハシスよ、シャパシュの敵を射てしまえ」と書かれている。 『列王記』には彼女へ馬を献納し、彼女の乗り物を火で焼く祭儀があったと記されている。 |
アシュタル / Ashtarアッタル、アトタルとも。「アスタルト」の男性形。「恐怖のアシュタル」「獅子」と称される。 神話テキストでは彼の性格を明確にすることはできないが、重要な役割を負った神であると思われる。 バアルの死後、彼のかわりに王座へ着く者として選ばれたが、身の丈が王座に合わなかったため断念し、地上に降りた。 |
ダガン / Daganダゴンとも。名前は「穀物」を意味するヘブライ語/ウガリト語、「魚」を意味するヘブライ語との関連を示す説があるが、はっきりとはわかっていない。 バアルの別名「ダガンの息子」に名前が現れるが、残念ながら神話テキストにはこれっきり登場しない。しかしウガリト(現ラス・シャムラ遺跡)の2つの神殿跡のうちひとつはダガンに捧げられたものとみられており、ウガリトにおいて重要な神であったことがうかがえる。 オリエント全体でみてもかなり古株の神で、ユーフラテス川中流にあったマリ市にはダガンに捧げられた大神殿があった。 |
グパンとウガル / Gupan and Ugarバアルの伝令役を務める神。グパンは「葡萄」を、ウガルは「畑」を表す。 コシャル・ハシス等と違い、双数形の動詞が使われるためふたりの神とされる。いつでも行動を共にし、伝令を告げる際も一緒に口を開いている。 バアルの伝言を伝えるためにどんなところにも行くよ! |
ホロン / Horon詳細は不明だが、冥界の神と考えられている。『バアル神話』では「ホロンに頭を砕かれろ」という呪いの文句に名前が出てくる。 ウガリト語の祭儀テキストや呪術テキストに名前が現れ、蛇の毒を散らす神として重要な役割を果たす。 シャパシュの娘を花嫁として迎えようとするエピソードがあり、そこでは「見目は良いが不能なのは困る」と一度は断られてしまう。その後自力で不能を治療し、再び娘の元を訪ねる。 |
ニッカル・イブ / Nikkal-wa-Ibbu夏の王ハルハブの娘で、月の神ヤリフの花嫁。 「イブ」の正確な意味は不明だが「果物」「花」「多くの実りを与える者」等と解釈される。 ウガリト(現ラス・シャムラ遺跡)から発見された、世界最古の楽譜といわれる「Hurrian Hymn No.6(H. 6)」はニッカルの讃歌とされている。 |
略記 | 書籍名 / 著者名 |
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ANET | Ancient Near Eastern Texts Relating to the Old Testament / James B. Pritchard |
CTA | Corpus des tablettes en cunéiformes alphabétiques découvertes à Ras Shamra - Ugarit de 1929 à 1939 / A. Herdner |
CUL | A Concordance of the Ugaritic Literature / Richard E. Whitaker |
KTU | The Cuneiform alphabetic texts from Ugarit, Ras Ibn Hani and other places / M. Dietrich, O. Loretz and J. Sanmartin |
UT | Ugaritic Textbook / Cyrus H. Gordon |